構成文化財トップページ > 構成文化財1.湯浅町湯浅伝統的建造物群保存地区【国選定重要伝統的建造物群保存地区】醤油・金山寺味噌醸造で発展してきた湯浅の町並みには、近世から近代にかけて建築された醸造業に関わる町家や土蔵が建ち並び、昔ながらの醤油造りの香りが今も漂う。 2.加納家(角長(かどちょう))【未指定】醤油醸造の老舗で、江戸末期に建てられた主屋や仕込蔵など醸造関連の建築群が軒を連ね、現在も現役の施設として稼働している。 3.醤油醸造用具【町指定文化財】角長で長年使用されてきた醤油醸造用具の数々で、現役で使用されているものも含み、古くからの製造工程を今に伝える。 4.醤油の製造技術【未指定】大豆と小麦に麹を混ぜて4日間寝かしたあと塩水を入れて、仕込桶で1年から1年半の間攪拌しながら寝かせ、出来た諸味を絞り、和釜で松の薪を燃料にして火入れを行う。 5.津浦家(旧内伝(うちでん)麹店)【未指定】醤油や金山寺味噌の製造に欠かせない原料である麹の製造販売業を営んでいた。 6.麹製造関連用具【未指定】津浦家(内伝麹店)で使用されていた麹製造関連用具。 7.栖原家【未指定】 フジイチの屋号で醤油の製造販売業を営んでいた醸造家。 8.戸津井家(戸津井醤油醸造場)【未指定】江戸文化年間創業のマルタケの屋号を持つ醤油醸造家。 9.大仙堀(だいせんぼり)【未指定】往時は醤油を積み出した内港で、一名を「しょうゆ堀」という。石積み護岸に醤油蔵が建ち並ぶ。 10.「大船一艘代々相伝(おおぶねいっそうだいだいそうでん)」書状【未指定】醤油醸造家であった赤桐家に代々伝わっていた安土桃山時代の書状。 11.北村家 (大坂屋三右衛門店・玉井醤(たまいびしお)本舗)【未指定】江戸時代を通して金山寺味噌の製造を一子相伝で受け継いできた老舗。湯浅に残る最も古い町家建築で、現在も、江戸初期の創業当時からの地で製造販売を行っている。 12.太田家(太田久助吟製)【未指定】江戸末期から続く醤油醸造家の町家や土蔵が通りに面して建つ。 13.金山寺味噌の製造技術【未指定】大豆、米、大麦に塩と麹を混ぜ、瓜や茄子、生姜、紫蘇といった野菜を漬け込んで作る。 14.顯國(けんこく)神社 (本殿・祝詞殿(のりとでん)・拝殿、手水鉢)【町指定文化財】 醤油醸造家たちが、商売繁盛や日々の暮らしの安寧を祈願した湯浅の総鎮守。江戸時代、房総に渡った当社の産子たちから手水鉢が寄進されている。 15.顯國神社の祭礼 (顯國神社の三面獅子)【未指定/県指定無形民俗文化財(獅子舞)】毎年10月18日に行われる湯浅祭では民俗芸能の三面獅子が奉納され、神輿渡御や騎馬武者行列が、醤油醸造業で栄えた町並みを練り歩く。 16.ナレズシ【未指定】顯國神社の秋祭りで食べられるスシ。 17.熊野街道道標【町史跡】かつての熊野への参詣道は、江戸時代には街道として整備され、巡礼者や醤油問屋の商人など多くの旅人が行き交った。「紀伊国名所図会」にも描かれている立石(たていし)と呼ばれる道標が、今も往来を見守っている。 18.深専寺(じんせんじ)(本堂・惣門(そうもん)・庫裡(くり)及び玄関・書院)【県指定文化財】熊野古道沿いにある寺院で、醤油醸造家をはじめとする湯浅の人々に信仰されてきた。 19.湯浅駅駅舎【未指定】鉄道を中心とした陸路での移送手段に変わる時代の中で、醤油の商品や原材料の輸送と商売人の移動など、新たな玄関口として利用された。国鉄開通時の駅舎は、今も現役で使われている。 20.甚風呂(じんぶろ) (歴史民俗資料館)【未指定】小路に建つ銭湯の戎湯は、早い時間帯には早朝に漁に出る漁民たちが、次に仕事を終えた醤油屋の使用人が、最後は家庭を支える女衆が利用した。地域住民の憩いの場として「甚風呂」の愛称で親しまれた。 21.しらす丼【未指定】湯浅湾で水揚げされたシラスをご飯の上に乗せ、醤油をかけて食す郷土料理。 22.茶粥(ちゃがゆ)【未指定】米をほうじ茶で炊き、冬は温かいまま、夏は冷やして金山寺味噌でいただく。 23.栖原家旧蔵民族資料群【未指定】栖原家(フジイチ)で使用されていた醤油醸造家の生業や生活の様子を示す民族資料群。24.湯浅図屏風(紀州湯浅町図)【未指定】メイジジ書記の湯浅の町並や浜の様子を描いた絵画。醤油醸造で繁栄する湯浅の町並みや、多数の船によって醤油が運び出される様子が見て取れる。